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東京高等裁判所 昭和36年(ネ)1277号 判決

第一審原告(第一二七七号事件控訴人・第一二八二号事件被控訴人) 八木秀次 外四名

第一審被告(第一二七七号事件被控訴人・第一二八二号事件控訴人) 国

訴訟代理人 宇佐美初男 外一名

主文

第一審原告らの控訴を棄却する。

原判決中第一審被告敗訴の部分を取り消す。

第一審原告らの請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審とも第一審原告らの負担とする。

事実

第一審原告ら代理人は、昭和三十六年(ネ)第一、二七七号事件につき「原判決中第一審原告ら敗訴の部分を取り消す。第一審被告は、第一審原告八木秀次、柏木庫治、関根久蔵、大谷贇雄に対し各金一〇〇万円、第一審原告楠見義男に対し金二六三万八、〇〇〇円及び右各金員に対する昭和三一年七月二九日からその支払の済むまで各年五分の割合による金員の支払をせよ。訴訟費用は第一、二審とも第一審被告の負担とする。」、同第一、二八二号事件につき「第一審被告の控訴を棄却する」との各判決を求め、第一審被告代理人は、昭和三十六年(ネ)第一、二七七号事件につき主文第一項と同趣旨、同第一、二八二号事件につき主文第二ないし第三項と同趣旨の各判決を求めた。

当事者双方の主張及び立証は、第一審被告代理人において別紙(一)、第一審原告ら代理人において別紙(二)各記載のとおりに述べ、第一審被告代理人において甲第一号証の二ないし六に対する原審における認否を訂正し、その各成立を認めたほか、原判決の事実摘示(但し、原判決四枚目表第一〇行に「違法し」とあるのを「違反し」、同八枚目表末行に「一環となす」とあるのを「一環をなす」、同裏第八行に「所属改党」とあるのを「所属政党」、同一〇枚目裏第七行に「甲第一号証の二ないし四」とあるのを「甲第一号証の二ないし六」とそれぞれ訂正する。)と同じであるから、これを引用する。

理由

昭和二八年三月二四日の官報により同年四月二四日に参議院全国選出議員五〇名(任期六年)及び同補欠議員三名(任期三年)の合併選挙を行う旨の告示がなされ、第一審原告八木が日本社会党から、同大谷及び関根が日本自由党から、同柏木及び楠見が緑風会からそれぞれ公認されて立候補し、その結果関根及び大谷が通常議員に、その他の第一審原告らが補欠議員に当選したこと、右選挙に際して佐野市選挙管理委員会が公職選挙法第一七三条及び第一七四条の定めるところに従い、同年四月一四日から選挙の当日である同月二四日まで同市相生町三〇三番地佐野市保育所ほか二〇カ所に設けられた投票所の入口、その他公衆の見易い場所に全候補者の氏名及び党派別の掲示をしたが、その掲示において、同選挙管理委員会の職員が過失により日本社会党から公認されて立候補した訴外平林剛の党派を日本共産党と誤記したので、同訴外人が本件参議院全国選出議員選挙のうち佐野市における選挙を無効であるとする訴訟を起こし、昭和二九年九月二四日最高裁判所において、右掲示の誤記は公職選拳法第一七三条の規定に違反し、且つ選挙の結果に異動を及ぼす虞があるものとして「本件参議院全国選出議員のうち佐野市における選挙を無効とする。但し右選挙における当選人五三名のうち訴外大倉精一及び第一審原告らを除いた四七名はその当選を失わない。」旨の判決がなされ、これにより第一審原告らが当選を失つたこと、その結果同年一〇月七日佐野市において再選挙が行われ、第一審原告楠見は落選したが、その他の第一審原告らが再び通常議員又は補欠議員に当選したことは当事者間に争がない。

そこで先ず問題となるのは、本件掲示の誤記は佐野市選挙管理委員会の職員が国の公権力の行使に当る公務員としてその職務を行うについてしたものであるかどうかであるが、この点に関する当裁判所の所見は原審と同様であるから、原判決摘示の理由中この点に関する説示(原判決一二枚目裏第一行から一三枚目裏第一行まで)を引用する。

しかして、第一審被告は、本件掲示の誤記は何にも第一審原告らの私的利益を侵害したものではないから、同原告らに対し不法行為となるものではないと主張するから、次にその当否について判断する。

国家賠償法第一条第一項が国又は公共団体の公権力の行使に当る公務員の不法行為について国又は公共団体が責任を負うべきことを定めたものであることはその立法趣旨に鑑みて疑のないところであるが、不法行為の成立について行為の違法性すなわち法によつて保護されている私益の違法な侵害を要するものであることは今日の通説である。そこで、本問に答えるためには、本件掲示の誤記は果して第一審原告らの法によつて保護されているいかなる利益を侵害したものであるか、これを裏返えしていえば、同誤記の犯した公職選拳法第一七三条の保護法益はいかなる法益であるかを検討しなければならない。同条は、本件掲示の誤記に関係のある部分に限つてみるならば、市町村の選挙管理委員会は、選挙毎に公職の候補者についてその所属党派の掲示をすることを要する旨を定めたものである(同条第一項)。公職選挙法は一体どうしてこのような定めをしたのであろうか。それは、選挙は、民主主義の基本理念である民意の政治的暢達のために選挙人に対し自己と主義主張を同じくする者を代表として選出し、これによつてその主義主張を国の政治又は地方公共団体の自治の上に反映することをえしめようとする制度であつて、選挙においては候補者の所属党派が選挙人に周知徹底せしめられることが何にも増して重要なことだからである。そして、選挙管理委員会が候補者の所属党派を掲示すれば、これが一種の宣伝となり、候補者がそれだけ利益を受ける-少くとも主観的に利益を受ける-ことは見易い道理であるが、前記法条は候補者にこのような利益を与えることを意図するものではなく、このような利益は同条の単なる反射的利益に過ぎないのである。これを要するに、同条は民主国家において最も重要な選挙目的実現のためにする規定であつて、その保護法益は公益の範囲を出ないのである。そうすると、佐野市選挙管理委員会の職員が過失によつて本件掲示の誤記-殊にこの誤記は第一審原告らに関係なく他の候補者平林剛の所属党派の誤記である-をしたからといつて、これをもつて直に当該職員が第一審原告ら自身の利益を違法に侵害したものとするに由ないことは前説示に徴して明瞭である(なお、選挙管理委員会の職員がことさらに特定の候補者の当選を妨害する目的で候補者の所属党派について虚偽記載の掲示をしたというような場合には、その行為は被妨害者との関係では違法性を有し不法行為となるであろう。それは、当選妨害行為が許すべからざるものであるとともに、候補者が当選について自己固有の利益を有することは選挙の本質上当然のことであつて、前記行為は違法にこの利益を侵害するものといわなければならないからである。しかし、本件は、第一審原告らの主張自体によつて明らかなように、これと全く事案の性質を異にし、同日に論じえないものであることを忘れてはならない。)から、これをもつて当該職員の第一審原告らに対する不法行為とすることはできないのであつて、同原告らの本訴請求は進んで他の判断を加えるまでもなく失当としてこれを棄却するほかはない。

第一審原告らは本件掲示の誤記が不法行為となることを強調するけれども、その所論は不法行為の成立について前説示と相容れない前提に立つものであつて当裁判所の採用しえないところである。

これを要するに、前認定と異なる原判決は失当であつて、第一審原告らの控訴は理由がないが、第一審被告の控訴は理由があるから、前者の控訴はこれを棄却するとともに、原判決は前認定と異なる限度においてこれを変更すべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九六条、第八九条、第九三条第一項をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 牛山要 日中盈 土井王明)

別紙(一)

第一審被告代理人提出の昭和三六年一二月四日付準備書面の写

原判決は、選挙の本質を誤つている。公職選挙は、選挙人(選挙人団)、候補者、選挙機関の三主体による合同行為にして、政治的には、国民がいかなる政治、いかなる為政者を欲するかを特定の候補者に投票することによつて表現するものであつて、民主制のもとにおいては最も重要且つ基本的な制度である。しかして、選挙においては、選挙人は自己の自由なる意思に基いて投票権(参政権)を行使する権能を有すると共にこれを行使する責務を有するものであり、また、候補者も自から立候補して選挙人の審判を受くる権能(その意味は前と同じ)を有すると共に当選した暁は選ばれた者として全体の為に政治に参与する責務を有するが、右の各権能と責務とは、いずれも政治的なものであつて、その行使、履行等に関する諸問題は、私法の規律に親しまない分野に属する。

ところで、選挙人や候補者が選挙に従うについては出費を伴うことがあるが、その費用は、右の如き選挙の性格に照らし公職選挙法(公選法)に特別の負担規定(公選法第二六一条、二六一条の二、二六二条、二六三条、二六四条、地方財政法第一〇条の四、国会議員の選挙等の執行経費の基準に関する法律)のある場合を除き、いずれも選挙人、候補者の負担すべきところである。選挙にはもちろん、色々の種類があるが、本件の如く選挙の一部無効により、先の選挙の欠陥を排除して正当な当選人を決定するために執行する再選挙の場合においても、この理は同じで、これを別異に取扱うべき理由はない。すなわち、選挙人、候補者は、当選人を決定するという公の目的が達成されるまで、そのための犠牲を要請されており、選挙の出費はそれが必要な限り、選挙人、候補者が自から負担すべきものであつて、これを他に転嫁できる性質のものでない。選挙法がかくの如き取扱をしているのは、選挙の成り立ち、本質的な性格にもとずくものであつて、参政権の行使に伴うかような負担を選挙人、候補者が自ら受忍すべきことは、選挙の目的、制度から当然法の予定しているところのものというべきである。

ところで、選挙の効力や当選の効力について異議訴訟が提起され、それが認容されて選挙の全部又は一部のやりなおしが行われた場合には、先の選挙で当選した者がやり直しの選挙で落選したり、また二重の選挙運動費用の支出を余儀なくされるという不利益を蒙ることはあるであろう。しかし公選法が選挙の自由公正を疑うに足りる選挙の管理規定違反があつて選挙の結果に異動を及ぼす虞がある場合に(またかような場合に限り)その選挙の一部又は全部の無効を決定し、裁決し、判決しこれにもとずいて選挙のやり直しをすることにしている所以は、法が、かように選挙の自由公正なる執行がとりおこなわれなかつた場合には選挙人の意思が未だ的確に表明されずそのため選挙の目的が完全に達成され得ていないものと認めたからに外ならず、従つて、右手続は一に選挙の公正を確保するという公益の目的から再び選挙人の審判を受け、当選人を決定することを趣意とするものであつて、それは何ら関係個人の権利の救済ないし利害の調整という私権救済の性質を有するものではない。従つてその結果全部のやりなおし選挙や、(本件の如く)再選挙によつて当選を失う者があつたとしても、それはその者がもともと公選されなかつたことが確定されただけであつて、既得権の侵害ということはあり得ないものである。(被控訴人楠見義男の歳費請求を棄却したる原判決はこの点に関する限り正当である。)

しかるに原判決は、候補者として選挙に参与することが国民の義務であつてもそのことから当然候補者がその選挙に関する財産的利益の侵害についてこれを受忍しなければならないものとは言えず、この利益に対する侵害があれば、不法行為制度による救済がなされるべきである旨判示しているが、右は前記性格を有する選挙の本質を誤つたものといわざるを得ない。再選挙が行われ再度の労が払われたことは事実であるが、これは、選挙の一部無効の結果によるものであつて、その根源は一投票区における単なる公選法一七三条の違反にあるというよりも被控訴人等の得票数が充分多くなかつたが為に選挙の結果に異動を及ぼすおそれがある場合に該当した(それがため一部無効とされた)ことによるものである。佐野市選挙管理委員会に公選法一七三条違反が起縁したことは否定するものではないが、一投票区の候補者の党派別の掲示の誤記が右のような結果を招来することは全国区選出議員の選挙においては通常あり得るということではない。

また、再選挙のため、選挙運動をすれば費用の支出を伴うことはあり得るけれども、公選法はこの選挙運動費用につき選挙の公正を確保するために最高額を定めてはいるけれどもその出費を何ら義務づけているものではない。従つて再選挙のための選挙運動費用として被控訴人等が任意に出費をしたとしてもそれは前述のごとく選挙の制度上当事者の負担すべき筋合のものであつて、これをもつて国が当然に負担すべきものであるとすることは言えない。況んや再選挙は前の選挙の無効とされなかつた部分と一体をなすもので、(候補者が死亡又は立候補の辞退とみなされる場合を除き)候補者としては引続きその地位にあるとともにその選挙上の諸状態を保持しているものであつて、当選人を確定する選挙手続は未だ終了をみずして、続いていることとなるものである。従つて候補者はそのために出費をすることがあつたとしても、それは同人が公職につくためにさらに任意に支出したものというべきである。即ちその支出は自らの負担において行れるべき性質のもので、その支出を余儀なくされたとしてその填補を他に請求し得べきものではないはずである。このことは若しそうでないとすると選挙法において候補者の負担とさるべきものとされている選挙運動費用を国の負担としその下において選挙運動を行うという不合理な結果となることから見ても明らかなことであろう。要するに、原判決が再選挙の為の選挙運動費用の支払を控訴人に命じたのは、右選挙の本質、再選挙の特色等の認識評価を誤つた結果、損害賠償により填補されるべき性質のものではないものをそのような法的不利益を蒙つたものと解するものであつて、控訴人の服し得ざるところである。

同昭和三七年二月九日付準備書面の写

一、本件再選挙運動費用は不法行為を構成する損害ではない。

(イ) わが憲法上、主権は国民に存し、国政は国民の信託にもとずくものであつて、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受するものとされ、また国民は公務員を選定するという固有の権利にもとずいて国民の代表者すなわち国会議員を選挙するものとされている。すなわち、日本国民であつて一定年令以上の者は国会議員を選挙することができ、また、一定年令以上の者は自由に国会の議員となるための選挙を受けることができるが、この選挙をなし、選挙を受けるのは国民至高の政治上の権利であつて、参政権と総称される。しかして、選挙(投票)はその本質上国民の自由な意思にもとずいて行われ、立候補及び選挙運動もまた国民の自由な意思にもとずいて行われる。

参政権の行使はかように国民の基本的権利であると共に、民主国家に必要不可欠の権能としてそれは国民の最重要な責務である。そしてこの権能の行使に当つては選挙人にも立候補者にも当然それ相当の肉体的経済的負担を要し、その負担は候補者の場合、選挙人のそれより著大であるが、その負担の本質的性格においては両者相異るところはない。しかして、これら参政権の行使に伴う負担は、右に述べた参政権の目的、性質に鑑みて、わが法制上その絶対的又は相対的多寡にかかわりなく(公職選挙法上特に国が負担するものとされているもののほか)当該参政権を行使する者に帰せられる(昭和二五年法律第一〇〇号公職選挙法第九四条-昭和二七年法律第三〇七号による改正前-は選挙公営に関する経費として候補者に一定額の金員等を納付させてさえいた)。参政権の行使はかかる負担の忍受なくして考えられず、参政権行使の基本たる自由意思はかかる負担忍受のうえのものとして想定されている。この理は通常の選挙と再選挙とで異らず、選挙はそれが行われる以上、かかる負担の忍受を前提とした参政権者の自由意思にもとずいて行われる。すなわち選挙運動には多くの場合出費が伴うが、選挙にあたつて出費をすることは何ら強制されているものではないし、選挙運動をなし、又は如何にこれをなすかは、候補者の自由である。しかして、候補者がその自由意思にもとずいて参政権を行使するにおいては、それは右述の筋合により、額の如何にかかわらず、その当人の負担のうえになされるものであつて、そのための支出は当然当人の忍受すべきものである。従つて、選挙運動のために候補者が財産的支出をしても、右支出はこれをもつて何ら損害と称うべきものではないし、また、もし何らかの理由によつて或る参政権の行使が他人の負担の前提のうえでなされたとすれば、それはわが法制下の参政権行使の性質に適合せざる異質のものとなるであろう。

(ロ) しかるに、再選挙費用について、その性質上これを一定の他人に帰し得るとし、その理由として右支出の財産的損害性を認める見解があるが、これは当らない考である。控訴人は、再選挙費用も、いやしてもそれが選挙費用である以上、右(イ)に述べたところが当然当てはまり、従つてその支出は候補者自らの負担として忍受し他から填補を求め得る損害と言い得ないものと考える。その理由は次のとおりである。

(1)  そもそも選挙の目的たる当選なるものは本来公的性格の問題であつて、個人の財産的利害の問題ではなく、その意味では選挙のための支出は単に費消されるものであつて、当然にそれに応じた一定の財産的価値を形成するものではない。また当選を得んがための選挙運動及びその費用は、目的達成の見地からすれば実際上その際限が無く(但し、このことは法定選挙費の問題とは別個の問題である)かつ、一定額の出費が当選を保するものでもない。

しかるところ、本件再選挙は当初の選挙を未完として続行し完成するためのものであつて、それは同一の候補者等を対象とした投票のやり直しをすることをもつてその眼目とし、その関連において候補者等に若干の選挙運動の機会を許与するものである。従つて、選挙運動がなお必要と観ずる候補者等は、その欲するところに従つてこの与えられた期間中に選挙運動を追完することを得、またそれに伴う支出をなすであろう。しかし、その支出は、それが従前になされずして再選挙期間中になされたものであるという理由によつて、直ちにこれを本来剰費に属し、よつて損害性あるものと言い得べきものではない。既述のように、本来選挙運動及び費用には実際上充分という限度が無く、このことは選挙の期間についても同様であり、そして、再選挙中の運動及び支出は、候補者が自己の人物、業績、政見等を選挙人に周知徹底させるという当初よりの唯一の目的に鑑みてなおそれをする必要があるかどうかを判断し、その判断にもとずいて自由に補足的にこれをなすものである。それは所期の目的上未だ不足すること、すなわちなされるべくして機会に恵まれなかつた行為について、再選挙期間が与えられたことによりその機会を得て、その実現を図るというものであつて、再選挙期間が付与されたが故に必要となつたものではない(因みに、本件では掲示の誤が再選挙の原因であるが、右掲示の誤自体は原告等に影響が無く、これにより原告等のさきになした選挙運動の効果を何ら阻害、減殺しているものでない)。その運動は当初の選挙期間のそれと一体をなして右唯一の目的に役立つものであり、かつ、それをなすと否とは当初の選挙期間のそれと同様、候補者の自由意思にかかるものであつて、何ら強制されたものではない。従つて、かくして支出された再選挙費用も通常の選挙費用と同様に当該候補者の一存にかかる自由な支出であつて、同人において終局的にこれを負担すべきものと解すべきであり、然る以上たとえその再選挙が何らか第三者の違法な所為を原因として施行されるに至つたものとしても、再選挙運動はあくまでも候補者の終局的負担においてなされるべく、第三者に対しこれが填補を請求し得るとなすが如きは選挙費用の性質に適合しないものと言わなければならず、また、そのような見解は選挙そのものの性質にもそうものと言えないと考える。

(2)  もつとも、本件再選挙にあたり、それがさきの選挙運動後一年半程を経過して行わたため、選挙運動の効果が弱まつていたことにより、その補充の意味での追加的運動が行なわれたということは考え得られよう。しかし、さきの選挙運動の効果はそれに続く投票によつて確認されて強固なものとなつているものであるから、実際上その弱まつた程度は大きくないであろうし、また、再選挙までに右の如き時日を要したのは公職選挙法上の関係制度(選挙無効訴訟及び再選挙の手続)の結果であつて、問題の適正な処理という公の目的上やむを得なかつたところであるから、右による若干の支出は候補者においてこれを忍受すべきものと言うべきである。なお再選挙の場合、候補者等がお互に選挙運動を競うという形を呈するがためこの点に注目する考もあるであろうが、そもそもめいめいの候補者が再選挙の運動をするのは前述のとおり所期の目的に鑑みた主観的判断にもとずいて自由にこれをするものであり、しかも目的達成の見地上選挙運動及びそのための出費にはもともと際限が無いのであるから、右の事実を把えて本来不必要な支出を余儀なくさせられたものとは断じ得ないであろう。

(ハ) なお右に関連し当然のことではあるが一言附加しておこう。それは選挙費用の支出をもつて他から填補を受け得べき損害といえないことは、国に対する国家賠償法上の請求においても何ら異るところはない点である。国家賠償法は民法の不法行為法の法理と全く同一の基礎において考えられているものであることは多言を要しないところであり、従つて賠償請求権の成立要件の一たる損害の有無についても不法行為法上のそれと全く同一に解すべきものである。そしてその請求の相手方が国であるか否かによつてその理の異るものでないことはこれまた当然の事理であつて、この場合における国は一般の第三者と同様の立場において不法行為における損害賠償義務の有無が問題とされているに過ぎず、公職選挙法上におけるが如き公的制度として選挙につきどこまで国が財政的負担をするかのような問題とは全く別箇の事柄なのである。以上のことはあえてここで指摘するまでもないのであるが、本件における損害性の有無の判断においてこの点に対する認識の不明確性が時として混入して来る虞なしとしないので一言した次第である。

二、本件掲示の誤と再選挙費用の支出との間には相当因果関係が無い。

控訴人は、右述のように本件再選挙費用は不法行為法上の損害ではないと考えるものであるが、仮に右が損害に当るとしても、原告が違法行為として主張する本件掲示の誤と右損害との間には相当因果関係が認められないと考える。

(イ) 不法行為が成立するためには加害行為と損害の発生との間に相当因果関係がなければならないが、相当因果関係が認められるためには、原則として問題の行為と損害との間に単にそのような行為がなければその損害が生じなかつたであろうと認められるだけでなく、さらにそのような行為があれば通常そのような損害が発生するものと認められる関係のあることを必要とし、特別の事情による損害については加害者に予見可能性のあることを必要とする。しかるところ、本件再選挙費用は再選挙にもとずく支出であるが、本件掲示と再選挙との間には次陳の理由により相当因果関係を認め難い。

(ロ) そもそも氏名掲示の誤記は、選挙訴訟ひいて選挙無効という事態を当然又は通常惹起するものではない。すなわち氏名の掲示の誤は選挙規定違反であるが、選挙規定の違反は当然選挙無効の事由となるものではない。それは特に選挙の結果に異動を及ぼす虞のある場合に限つて選挙無効の事由となるものであつて、その氏名を誤記された者が、当選人である場合やある程度以上の票差をもつて落選した場合には選挙無効の問題は生じない。本件の場合には党派を誤記された訴外平林剛がたまたま僅少の票差をもつて次点者となり、かつ、佐野市における全有効投票が同人に投ぜられたと仮定すれば同人が当選し得たという関係が成立したがために問題を生じたものである。しかし、かくのごときは稀有に属する。すなわち、いまこの通常選挙における立候補者二百三十四人について考えてみても、「佐野市」における全有効投票がその一人の候補者に投ぜられる筈であつたとし、氏名掲示において、氏名・所属党派等を誤記された結果これを得られなかつたと仮定しても、そのために落選を考え得るものは、僅かに一九人に過ぎない。しかも右のごとく佐野市の全有効投票が一人の候補者に投ぜられるというが如きことは実際上有り得ないことである。従つて同市で氏名掲示の誤記があつても実際に選挙訴訟が提起されて選挙無効を招来し、ひいて再選挙が行われるということは通常有り得ないところであるし、また、本件の場合について訴外平林が前記の如き票差で次点となるという事情は係員の到底予見し得なかつたところである。然らば、本件掲示と本件再選挙費用の支出との間には相当因果関係が認められないというべきであつて、原判決が党派の誤記が次点者について起きたということをいきなりその前提として、その次点者と当選者の得票数の差は大きくないことが多いから、結果に異動を及ぼし、選挙無効となり、再選挙が行なわれるものとしているのは、第一に党派の誤記が次点者について起きることが極めて稀であることを無視しているばかりか、全国区選挙における一市という一小区の投票数の影響ということを正当に評価しなかつたことによる誤りであると考えられる。

三、本件掲示の誤記は不法行為法上の違法行為ではない。

本件再選挙費用が損害であり、かつ、右損害と本件掲示の誤との間に相当因果関係があるとしても、本件掲示は未だ不法行為法上の違法行為に当らないから、これにより不法行為は成立しない。

(イ) 本件掲示の誤が公職選挙法の規定に適合しないものであり、その意味で違法であることは争ないが、公法上の規定違反が直ちに不法行為法上の違法を構成するものではない。公法上の規定であつても、それがひいて私的利益の保護と結びついている場合があり、かかる場合にはその規定違反は不法行為法上の違法行為を構成することがある。しかるところ公職選挙法第一七三条は、本来選挙人をして投票に役立つ候補者に関する事項を了知せしめ、選挙の適正を計るための規定であつて、候補者の利益のためにするものではないが、その掲示に誤があつたときは、反射的に当該誤記を受けた候補者はその選挙運動上不利益を受けることがあるであろう。しかし右掲示の誤によつて反射的に利益を侵されるのはその誤つた掲示を受けた候補者であつて他の候補者には関係が無い。本件の場合、掲示の誤は訴外平林に関するものであつて、被控訴人等に対する掲示はいずれも正当に行われており、従つて本件掲示自体被控訴人等に対して何ら不利益を与える性質のものではなく、その意味でそれは被控訴人等に対する違法行為ではない。

(ロ) もつとも本件で取り上げられているのは再選挙のための費用であり、そしてその再選挙が本件掲示の誤にもとずくものであることが問題とされている。しかし再選挙は私的利益の調整を計るものではなくて、最重要なる国家機関を構成するための手続として選挙の理想にもとずいて行われるものであつて、その再選挙としての性質には、掲示の誤にもとずく選挙無効の場合のそれと、当選人の不存在又は不足の場合になされるそれとで変りがない。

候補者は一回の選挙で当落の決定されることを望むのが通常ではあろう。しかし、公の目的からみて一定の事由がある場合に選挙のやり直しが行われることはまことにやむを得ないところであつて、候補者としても参政権の本義に照せば選挙の回数が一回であると二回であるとで不服をもつべき筋合のものではないであろう。しかも再選挙の場合に通常として選挙運動が行われ、そのために支出が行われるとしても、その運動をなし、支出をなすことは本来強制されたものではないのであるから、これらの点を考え、また、本件掲示の誤記という行為が単なる過失にもとずく行為であつて、ことさら被控訴人等の支出を招いたものでないことを考え合せるとき、本件掲示の誤記は未だこれをもつて被控訴人等に対する不法行為を構成する意味での違法行為とは言い得ないものと考える。

別紙(二)

第一審原告ら代理人提出の昭和三七年二月九日付準備書面の写

第一、準備書面に対する反駁。

被告代理人は「原判決は選挙の本質を誤つている」と冒頭に断言して、これが説明に滔々数千言を費しているが、原告代理人を納得せしめるに足る何ものもない。以下にその理由を略述する。

一、被告代理人は「公職の選挙が民主制のもとにおいて最も重要且つ基本的な制度であり、選挙人は自己の自由な意思に基いて投票する権能と責務を有し、候補者は選挙人の審判を受ける権能と当選後には全体の為に政治に参与する責務とを有する」といつているのは一応肯定しうるところであるが、更に同代理人は「選挙人や候補者のかかる権能の行使と責務の履行等は政治的のものであるからこれ等に関する問題は私法の規律に親しまない分野に属す」といつて公職の選挙の候補者が負担すべき選挙運動費の如きは政治的(これは公法的という言葉が適切でないだろうか)な候補者の権能の行使と責務の履行に関する問題であつて私法たる民法損害賠償の規定をこれに適用すべきでないとの意味を言外にほのめかしている部分は明白にしかも大きな間違いである。蓋し日本国憲法が施行されて半歳もたたない昭和二二年一〇月二七日にその第一七条に基いて法律第一二五号として公布、即日施行された国家賠償法の第一条と第四条によると、国又は公共団体の公権力の行使に当る公務員がその職務を行うについて故意又は過失によつて違法に他人に損害を加えたときは国又は公共団体がこれを賠償する責に任じ、この賠償の責については国家賠償法に規定するの外は民法の規定が適用されることは洵に明白である。ところで同法にいう公権力を行使する公務員がその職務を行うという場合の職務行為は明らかに典型的な政治的公法的な性質に属するにもかかわらず同法はこれに関して公務員が他人に加えた損害の賠償責任については同法の規定と民法の不法行為による損害賠償の責任についての規定を適用するといつているのである。されば公職の選挙における候補者の権能の行使や責務の履行が政治的公法的なものであるから、これに関する問題である候補者の選挙運動の費用には私法の規律が親まないとして、民法不法行為による損害賠償の責任に関する規定の適用がない旨の所論は日本国憲法が施行され同法第一七条に基き国家賠償法が制定施行されている今日においては全然通用しない明かな大きな間違いであつて、同法施行前の大日本帝国憲法下における我が国の学説判例の是認しているものでしかないからである。

二、被告代理人は「選挙人や候補者が選挙に従うについて要する費用は選挙の性格に照らして公職選挙法に定める場合を除きいずれも選挙人又は候補者の負担すべきものであつて、この理は選挙のいずれの種類に属するかを問わず同じである。すなわち公職のいかなる選挙でもその費用は公職選挙法に国又は公共団体の負担と定めていないものは選挙人又は候補者が自ら負担すべきものであつて他に転嫁できる性質のものでない」旨主張しているが、この主張には公職の選挙が民主制下の基本的重要な制度であるという選挙の性格から選挙に要する費用は選挙人又は候補者の負担たるべきが本来の面目であつてそれが特に公職選挙法で国又は公共団体の負担を免がれうるにすぎないのであるから、同法で国又は公共団体の負担とされていない選挙の費用は他のいかなる法律の規定を以てしてもこれが負担を選挙人又は候補者から国又は公共団体に転嫁することは許されないという趣旨が含まれていて、この主張も亦明らかに大きく間違つた見解である。先ず公職の選挙が民主制下の重要な基本的制度であるということからして公職の選挙に要する費用は選挙人又は候補者の負担たるべきが本来のすがただということが独断である。というのは、元来公職選挙法には大なり小なり選挙公営の主義が採用されていて、この主義の採用される範囲はむしろ年と共に拡大強化される傾向にあることは否定できない事実である。

従つて選挙に要する費用の中国又は公共団体の負担とされる部分が増大の一途をたどることも亦否定しえない事実である。されば将来公営主義が徹底的に採用されるということもないとはいえない。若しそういうことになつた暁には、公職の選挙の費用は挙げて国又は公共団体の負担に帰し了つて、選挙人や候補者には一文半銭の負担もかからないということになるのは必定である。ところでかかる徹底公営主義の公職の選挙は民主制下の重要な基本的な制度たる資格を欠くもので公職の選挙たる法律上の効力に欠くるところのあるものだとはいえない。そのことはかかる選挙も公職選挙法によつて行われるものであり、公職選挙法が公営主義を徹底的に採用したのは選挙が公正に明朗に行われるのに必要にして適切であるからであり、従つて、公営主義の徹底は公職の選挙が民主制下の重要な基本的制度たる資格を充実することにこそあれいささかも減殺することになるのでないことから明白である。されば公職の選挙に要する費用の負担が誰れであるかということは公職の選挙の性格とか法律上の効力とかには直接の関係のないことであるから、公職選挙法の規定では国又は公共団体の負担としていない選挙の費用を憲法の基本的人権の尊重の建前から選挙人候補者の負担から国又は公共団体の負担に転嫁することになる特別の法律を国が制定した場合にこの法律によつて選挙人候補者が公職選挙法によつてその負担とされていた費用を国又は公共団体の負担に転嫁することはいささかも公職選挙の性格に反するものでなく、又憲法の規定からも当然に容認されているところである。されば選挙費用の転嫁は公職の選挙の性格から許されないとする見解は明らかに大きな間違いである。

三、被告代理人は「選挙が無効とされて行われる再選挙は一に選挙の公正を確保するという公益の目的から再び選挙人の審判をうけ当選人を決定することを趣意とするものであつて何等候補者個人の権利の救済ないし利害の調整という私権救済の性質を有するものではない。従つてその結果全部のやりなおし選挙や本件の如き再選挙によつて当選を失う者があつたとしてもそれはその者がもともと公選されなかつたことが確定されただけであつて既得権の侵害ということはあり得ないものである(被控訴人楠見義男の歳費請求を棄却したる原判決はこの点に関する限り正当である)」といつているがこれには大に異議がある。というのは原告等の本訴の請求原因は再選挙は候補者たる個人の権利の救済ないし利害の調整という私権救済の性質を有するというのではなく、(このことは被控訴人楠見義男の歳費請求の原因についても異るところがない)昭和二八年四月二四日施行の参議院議員の佐野市の選挙において公職選挙法第一七三条による全候補者の氏名党派別の掲示に日本社会党候補者平林剛の所属党名を日本共産党と誤記したことによつて同市の選挙が無効となり、再選挙が行われることになつたのであるから、この再選挙に原告八木外四名が候補者として参与することによつて生じた費用中公職選挙法で国又は公共団体の負担としない部分は国家賠償法にいうところの公権力の行使に当る公務員が職務を行うに当り過失によつて違法に原告等に加えた損害であるから、国はこれが賠償をすべき責任があるというのであつて、この事は訴状並に原告の準備書面で明らかなところである(原告楠見義男の歳費の請求原因も佐野市選挙管理委員会の職員が掲示に平林剛の党派別を誤記しなかつたなら当選を失うことなく従つて歳費の給与を受けえたのであることを請求原因としたのであつて、再選挙を以て個人の権利の救済ないし利害の調整という私権救済の性質を有すとしてこれを請求原因としているのでないこと訴状並原告の準備書面で明らかである)からである。されば被告代理人のいうところは本訴の請求原因を殊更らに曲解していることによる失当のものか、さもないというなら、全く見当違いの甚しいものであつて、本訴の請求原因に対する反駁たる意義なきものである。

四、以上一乃至三で説明したところで明らかなように佐野市の参議院選挙の再選挙に候補者として選挙運動をしたことによつて生じた費用中公職選挙法で国又は公共団体の負担と定めていないものが当該候補者の負担に帰し、候補者がその負担したこの費用を国家賠償法第一条にいう損害に当るとして国に対してこれが賠償を求めることは公職の選挙の性格から許されないという筈は毛頭なく又公職選挙法の禁止するところでもないばかりでなく、むしろ人権尊重の建前をとる日本国憲法第一七条の法意にも適合するところであるから、原判決が原告等が再選挙の費用として負担したる金額に相当する額の賠償を被告に求めた部分を認容したのは正当であつて、原判決は公職の選挙の本質をいささかも誤つているものではない。ところが被告代理人は「しかるに原判決は候補者として選挙に参与することが国民の義務であつてもそのことから当然候補者がその選挙に関する財産的利益の侵害についてこれを受忍しなければならないものとは言えず、この利益に対する侵害があれば不法行為制度による救済がなさるべきである旨判示しているが右は前記性格を誤つたものといわざるを得ない」と述べている。これは要するに前記、一乃至三の説明で明らかである通り、被告代理人が公職の選挙の費用のような政治的な行為に関係するものには私法たる民法不法行為に関する規定は全然その適用がないものと誤解し、次で公職の選挙の性格が政治的であるところから、選挙に要する費用は公職選挙法で国又は公共団体の負担と定めていない限りすべて選挙人、候補者の負担たるべきで、この負担は他のいかなる法律の規定をもつてしても国又は公共団体の負担に転嫁することを許されないと独断し、これ等の誤解や独断を前提とする失当の甚しいものである。

されば被告代理人が前記原判示を以て公職の選挙の本質を誤まつたものと主張する理由として縷述するところについて重ねてここに反駁するの必要を見ないからこれは省略することとし、只被告代理人が右理由中に「再選挙の行われたのは選挙の一部無効の結果によるものであつて、その根源は一投票区における単なる公選法一七三条の違反によるというよりも被控訴人等の得票数が充分多くなかつたが為によるものである。」と述べている一節に対して為念一言する。ここに被告代理人のいうことは逆であつて、その根源は被控訴人等の得票数が充分多くなかつたことによるというよりも一投票区における公選法第一七三条の違反によるものである。このことは公職選挙法第二〇五条第一項で選挙の全部又は一部を無効と決定、裁決、判決するには選挙が選挙の規定に違反することが不可欠の条件たることを定めている。換言すれば本件でいえば同条項は公職選挙法第一七三条という選挙の規定に違反することが選挙を無効とされた不可欠な条件たることを定めていることになり、若し本件で公職選挙法第一七三条違反という事実がなかつたとしたら、原告等の得票数と次点者のそれとの差が僅か一票であつても選挙は無効とされる筈は毛頭ないことから明らかである。

第二、原判決中敗訴の部分に対する意見。

一、原審は判決理由の五において「原告ら主張の慰藉料の請求について判断する。

本件掲示の誤記に起因して、原告らがその主張のような精神的苦痛を蒙つたことは、原告ら各本人の供述によつて認めることができる。(中略)原告らが主張する精神的苦痛なるものは選挙という制度に伴う一般的不安感に過ぎないものなのである。

ところがこのような一般的不安感は何等かの賠償の給付をなすことによつて慰藉さるべき損害ではない」と判示して、原告等の慰藉料の請求を排斥している。ところがそもそも、原告等の慰藉料の請求は原告等が本件掲示の誤記に起因して蒙つた精神的損害だけに対するものではなく、原告等が蒙つた肉体的損害にも対するものであつて、このことは訴状の請求原因五の三(「前略」殊に再選挙のために前判決確定の日より右選挙の結果判明の日迄精神的肉体的にうけた損害たるや金銭に見積り得べからざる程甚大なるものがあり云々)及び要約調書の第二請求の原因五の(三)(「前略」殊に選挙無効の判決確定の日より再選挙の結果の判明するに至るまで精神的肉体的にうけた損害は金銭に見積り得ない程甚大なものがあり)の各記載で明らかである。されば原判決は原告等が本件掲示の誤記に起因して蒙つた肉体的損害に対して原告等がしている慰藉料の請求については何等の判断をしていないものといわなければならぬ。ここに原告等が慰藉料請求の対象としている肉体的損害とはどんなものかというに、それは原告等が再選挙において二十一名の多数の候補者と当選を争うことによつて必然に生じた肉体力の莫大な消耗であり、ひいては健康の弱体化さては寿命の短縮による損害に外ならない。いうまでもなく原告等はいずれも佐野市、その隣接地域若しくは栃木県内のいずれの地の出身者でも、居住者でも又縁故者でもなく僅かに無効となつ参議院議員選挙の際に候補者として同市有権者の一部の者に知られたにすぎないものであるから、同市の三万千百余名の有権者とは深い顔なじみもなく、原告等が抱く政見、政策、主義、思想、信条等凡そ選挙人がきかんと欲している大切なことが選挙人に熟知されていないのであるから、原告等候補者にとつては佐野市の再選挙に際しては朝は未明から夜は星を頂いて連日連夜十数時間、風雨に打たれ、炎暑に照らされて自ら陣頭に立ち、街頭に、演説会場に出馬し、有権者を前にして親しくその知らんとする原告等候補者の政見等を詳細、刻明に演述して有権者の認識と理解とを深めることに懸命の努力をしたばかりでなく、再選挙では佐野市の小区域で僅々三万千余票をあてにして原告等を含めた二十一名の多数の候補者がその獲得に鎬を削り、ここを先途と戦つたのであるから原告等候補者の肉体力の消耗は想像に絶するものがあつた。しかのみならず原告等候補者は齢すでに五十歳乃至七十歳に及ばんとするいわゆる老境にある者であるから再選挙による莫大な肉体力の消耗はいやおうなしに健康を弱体化し、寿命の短縮をも来す虞なしとしない。ところが現に原告等中選挙後健康を害し数カ月間病床に呻吟したものがあつたことは原審本人尋問調書に記載されている。然るに原審は原告等の肉体的損害の有無について何等判断しないで原告等のこれに対する慰藉料の請求を棄却したのは明らかに判決の結果に重大な影響を及ぼすべき判断遺脱審理不尽の違法をあえてしたものといわなければならぬ。

二、原告等が候補者として佐野市の再選挙において蒙つた肉体的損害の莫大なものであることは一において説明した通りであつて、この損害が同市の再選挙において本件掲示の誤記に起因して原告等が蒙つたものでありこれについて被告は賠償の責任あることは、この肉体的損害と不可分一体の関係にある再選挙における原告等候補者の費用を原審が再選挙において本件掲示の誤記に起因して原告等が蒙つた損害であり、これについて被告は賠償の責ある旨の判示をしていることから明らかである。されば原審が原告等の受けた精神的肉体的損害に対する慰藉料の請求を拒否したのは筋違いの甚しい失当の措置というべきである。

三、原審は「次いで、原告ら主張の慰藉料の請求について判断する本件掲示の誤記に起因して、原告らがその主張のような精神的苦痛を蒙つたことは原告等各本人の供述によつて認めることができる。(中略)すなわち原告らが主張する精神的苦痛なるものは選挙という制度に伴う一般的不安感に過ぎないものなのである。ところでこのような一般的不安感は何等かの賠償の給付をなすことによつて慰藉さるべき損害であるということはできないものである。従つて原告等の右精神的苦痛もまた、慰藉の対象となるべきものではないから原告らの慰藉料の請求は失当であるといわなければならない。」と判示しているがこの判示は次に説明する理由で原告等の承服できない失当のものである。

(1)  公職の選挙の候補者がその当選を争う運動に従つた場合に蒙る精神的損害は単に当選するか否かの不安焦燥の念にかられることによる精神的の苦痛だけではない。却つて候補者は公職選挙法の下において適法に当選の栄をかちとる為の運動方法を企画し、これを功妙に実行に移すことについて又自ら選挙の為にする演説又は発表する文書の立案推敲等についての縷心彫骨の労苦はとうていさけられないところである。候補者のこの精神的労苦なるものが候補者にとつて損害たることは金銭的な選挙費用が候補者にとつて損害たることと何等の相違がない。ところで原審は再選挙において原告等の金銭的な物質的な選挙費用を本件掲示の誤記に起因して原告等の蒙つた損害なりと認めてこれが賠償を被告に命じているのであるからすべからく原審は原告等のこの精神的労苦を本件掲示の誤記に起因して原告等の蒙つた損害なりと認めてこれが賠償を被告に命ずべき筋合である。しかるに原審が本件再選挙によつて原告等の蒙つたこの種の精神的労苦について何等審究するところなく、再選挙において原告等の蒙つた精神的苦痛は原告等が単に再選挙に当選するか否か、の不安焦燥の念にかられることによる精神的苦痛だけであると断じて、たやすく原告等の慰藉料の請求を棄却したのは審理不尽判断遺脱の違法をあえてしたものといわなければならぬ。

(2)  原審は「すなわち原告らが主張する精神的苦痛なるものは、選挙という制度に伴う一般的不安感に過ぎないものなのである。ところでこのような一般的不安感は何等かの賠償の給付をなすことによつて慰藉さるべき損害であるということはできないものである。従つて原告ら右精神的苦痛もまた、慰藉料の対象となるべきものでない」と判示して原告らの慰藉料の請求を排斥した。しかしここに「原告らが主張する精神的苦痛なるものは選挙という制度に伴う一般的不安感に過ぎない」という判示は原判決中の「一般に多数の候補者が当選を争う選挙において候補者が果して当選し得るかどうか不安焦燥の念にかられ精神的苦痛を体験することがあることと少しも異るところがないものと考えられる」の判示に照していうまでもなく「原告らの主張する精神的苦痛は当選を争う選挙の候補者なら誰れでも程度のちがいはともかく例外なく抱く筈の不安感でしかない」という義に外ならぬと理解されるが、それだからといつて原審の「このような一般的不安感という精神的苦痛は何等かの賠償の給付をなすことによつて慰藉さるべき損害であるということはできない」との判示にはとうてい承服することができない。

何んとなれば原審が本件掲示の誤記に起因して原告等の蒙つた損害として被告にこれが賠償を命じた原告等の法定選挙費用はその額はともかく選挙という制度に伴い当然にいずれの候補者にも例外なく一般的に生ずる性質のものである。このことはその費用の種目(人件費、交通費、休泊費、家屋費、印刷費、文具費、食糧費、通信費、雑費)が公選法令の定めるものであることから明らかである。又原告等の蒙つた精神的苦痛による損害は前記原告等の蒙つた物質的損害たる選挙費用と等しく本件掲示の誤記に起因して行われることになつた再選挙に関して生じたものであることはいうまでもないところである。されば原審が本件再選挙に関して原告等の蒙つた物質的損害たる選挙費用はそれが選挙という制度に伴う一般的な損害であるのに、これについては被告において賠償すべき責任ありとしながら、等しく選挙に関して原告等の蒙つた精神的苦痛による損害はそれが選挙という制度に伴う一般的な精神的のものであるからとしてこれについては被告において賠償すべき責任がないという趣旨に帰する判示をしたのは明らかに矛盾撞着の誤をあえてしているものというも過言でないからである。要するに原審が原告等の再選挙に当選するか否かの不安焦燥による精神的苦痛に対する慰藉料の請求を排斥したのは原審が国家賠償法にいう損害乃至は民法不法行為の規定にいう損害の解釈を誤つたことによるものであり、原告等の蒙つた物質的な損害も精神的の損害も等しく佐野市選挙管理委員会の職員の本件掲示の誤記に起因して行われた本件再選挙に関して原告等の蒙つたものであり、しかもその一たる物質的損害について被告においてこれが賠償の責ある以上は当然にいま一つの精神的損害についても被告においてこれが賠償の責あるべきだという極めて素朴平明の条理に違背したことによる失当のものである。

同昭和三七年三月二六日付準備書面の写

一審原告訴訟代理人は、昭和三七年二月九日附一審被告指定代理人の準備書面に対し、左の通り主張致します。

一、一審被告指定代理人の右準備書面第一項に対する主張は、一審原告の同日附準備書面「第一準備書面に対する反駁」を援用する。

二、本件掲示の誤記と損害発生との間の因果関係について。

(一) 一審被告指定代理人は

(イ) 本件掲示の誤記がたまたま次点者である訴外平林剛について生じたこと。

(ロ) 次点者と最下位当選者との得票数が、選挙無効の問題を生ずる程僅少であつたこと。

(ハ) 本件掲示の誤記があつても、これがため現実に選挙訴訟が提起されて、選挙無効を招来し、再選挙が実施されるに至つたこと。

等については、佐野市選挙管理委員会の職員が予見し得なかつた、偶然ないし異例の事情が加わつた結果生じたものであるから、本件掲示の誤記と損害発生との間には相当因果関係がない旨主張して、本件損害の賠償責任を否定する。不法行為によつて発生した損害のうち、賠償すべき損害の範囲が、加害行為と相当因果関係に立つ全損害、即ち、かかる行為があれば、一般に生ずるであろうと認められる損害であつて、その判断には、加害者が予見し又は予見しうべかりし事情を標準とすることは、一審被告指定代理人の主張するとおりであろう。

(二) そこで、一審被告指定代理人が、予見不可能と主張する事実について考察するに、本件参議院全国選出議員選挙において、次点者の全国得票数と、最下位当選者の全国得票数の差が極めて少なかつたこと、そのため選挙無効の訴訟が提起されて選挙無効を来し、その結果本件再選挙が行なわれたことは、本件につき、予見し得ない特別事情というには当らない。一般に公職の選挙において、次点者の得票数と、最下位当選者又は順次これに次ぐ上位当選者の得票数との差が極めて僅少であることは、決して稀有な事例ではない。あらゆる公職の選挙を通じ、選挙の管理執行の手続きに関する違法又は投票用紙記載の効力をめぐつて選挙訴訟が絶えないのは、実は次点者と最下位当選者の得票数の差の僅少なことに由来するのであつて、甚だしきは、その差一票という例も、必ずしも奇異とするに当らないのである。例えば、大正三年に施行された衆議院議員総選挙において福島市選出の最下位当選者柴四朗の得票数と次点者白井新太郎の得票数の差が一票であつて、次点者から三枚の投票用紙につき、その記載の効力が争われたことがあつた(当選の効力に関する異議事件・宮城控訴院大正六年七月二八日判決・大審院大正六年一一月一〇日判決)。

特に本件においては、佐野市の投票総数に影響を及ぼす虞のある、候補者の党派につき掲示の誤記がなされたのであるから、同市の投票総数が、少くとも、次点者の得票数と最下位当選者の得票数の差を超えるときは、その違法行為は、選挙の結果に異動を及ぼす虞があることとなり、その虞がある限り選挙は無効となつて再選挙が行なわれるという関係にあつた。更に、本件参議院全国選出議員選挙にあつては、多数の候補者が当選を競うという事情にあつたのであるから、最上位当選者から順次これに次ぐ下位当選者又は次点者に至るまでの、各得票数の差は、益々僅少となる傾向にあつた。かかる事情は、選挙管理委員会の職員であれば当然に予見し、又は予見し得た事情であるから、これを基礎として、本件掲示の誤記と本件損害との間の因果関係を考察すれば、そこには極めて当然な経過による原因結果の関係をみるのである。

従つて、一審被告指定代理人の主張するように、これが本件につき予見し難い特別事情とするには当らないものである。

(三) 又、一審被告指定代理人は、党派を誤記された訴外平林剛が、たまたま、次点者となることは、佐野市選挙管理委員会の職員には予見し得ない事情であつたと主張する。

党派を誤記された右訴外人が次点者となるに至つたことは必らずしも予見不可能なこととはいえないのみならず、同人が次点者であつたということは本件掲示の誤記と損害発生との因果関係になんら影響を及ぼすものではない。即ち、本件参議院全国選出議員選挙の一部無効、ひいては本件再選挙に至るについて、訴外平林剛が次点者であつたことは、不可欠の要件ではない。本件掲示の誤記が、候補者の得票数に影響を及ぼす以上、選挙の効力に関し訴訟の提起があれば、何れの候補者からその訴が提起されても、裁判所は、等しく、公職選挙法第二〇五条第三項に定める算定に基づいて、どの範囲の候補者につき、当選に異動を生ずる虞があるかを決定し、その限りで無効を宣するのであるから、その間に、たまたま党派を誤記された候補者が次点者となつたり、又その候補者から訴訟が提起された等によつては、選挙無効の範囲や再選挙に至るまでの経過に差異を来すことはない。たゞ、訴外平林剛につき、当選に異動を生ぜしめるような誤記がなされたというだけである。従つて一審被告指定代理人の主張するような事情は、本件掲示の誤記と損害発生との因果関係を論ずる上には重要なことではなく、これを予見し得なかつたとしても因果関係の成否に何ら影響はない。

三、次に、一審被告指定代理人は、公法上の規定違反は、それが、ひいて私的利益の保護に結びついている場合でなければ、不法行為法上の違法行為を構成しないと主張する。その主張の意味内容は必らずしも明らかではないが、右主張の意味が、当該違法行為が国の私法的・経済的利益に関する場合でなければ、不法行為を構成しないというのであれば、それは国家賠償法第一条の規定の解釈を誤つたものであつて、これに対する論駁は、本準備書面第一項において援用した、一審原告訴訟代理人の準備書面第一項一、に縷説するとおりである。

又、右主張の意味が、私的利益の保護に向けられた行為でなければ、その違法によつて生ずる損害は、意図した効果が発生し得なかつた(本件では選挙の適正が計れなかつた)という公的損害だけであつて、私法的損害の発生する筈がないというのであれば、不法行為によつて賠償すべき損害の範囲は、その行為の目的によつて定まる、一次的・直接的損害の範囲であるということであつて、不法行為法を曲解し、因果関係の理論を無視した議論である。不法行為を構成する行為には、法律行為あり事実行為あり、公法的行為あり私法的行為あり、その行為の性質に制限はない。違法な行為によつて損害が生ぜしめた場合は、当該行為と相当因果関係のある範囲の損害については、直接、間接を問わず之が賠償の責を負うことは自明の理で、一審被告指定代理人自ら認めるところであるが、然る上で、「一審原告等に対する掲示は正当に行われており、従つて本件掲示自体一審原告等に対し何ら不利益を与える性質のものではなく、その意味でそれは一審原告等に対する違法行為でない」旨主張するのは自家撞着のそしりを免れない。

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